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7月, 2014の投稿を表示しています

チームオーダーを出すということ

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 2014F1ハンガリーGPは、様々なドラマが産まれた名レースでしたが、その中で、終盤の注目ポイントの一つであった、「メルセデスGPによるルイス・ハミルトンへのチームオーダー」から、F1史におけるチームオーダーについてのあれこれを書き連ねてみたいと思います。 チームオーダーにハミルトン「ショック」、ラウダはハミルトンを支持 http://www.topnews.jp/2014/07/28/news/f1/111086.html ハミルトン「自分はレースをするために雇われている。チームオーダーを聞くためじゃない」 http://www.topnews.jp/2014/07/29/news/f1/drivers/lewis-hamilton/111118.html ハミルトンがチームオーダーに従わなかったためにメルセデスAMGは優勝をライバルチームに明け渡してしまったのかもしれない。 ハミルトンも、チームオーダーには「正しい理由」があったのだろうと認めている。 しかし、チャンピオン争いをリードするロズベルグを追う立場のハミルトンは、ロズベルグを抑えたことでポイント差を縮めることができた。 「彼と同じレースをやっていたんだ」とハミルトン。「だから、チームがああいうことを僕に求めるなんて、ものすごくショックだった。彼が順位を上げられるようにしろだなんて」 「あれはちょっと変だよ」  さて、一口にモータースポーツと言っても様々で、四輪、二輪などのあからさまな違いの他にも、フォーミュラマシンかGTマシンかの違いや、1レースにつき1チームが何台のマシンを走らせるかとか、かなり多様に細分化されます。  その中でも、1チームが複数台のマシンを走らせるカテゴリにおいて問題となってくるのが、冒頭に挙げた記事にもありますチームオーダーの存在。特にF1においては昔からこのチームオーダーが物議を醸しておりまして、悲喜こもごものドラマがここから生まれています。

移動するもの

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 ガンダムは観たことないんですが、マクロスは初代を通して観たことがあります。  で、作中にバルキリーという、飛行機(ファイター)と人型ロボット(バトロイド)とそれの中間みたいなの(ガウォーク)に変形できる戦闘機が出てくるんですが、これについて以前に知り合いと話していたところ「どの形態が一番好きか」という話になり、その時に「飛行機型」と答えて訝しがられたことがあります。  彼曰く、普通の戦闘機なんかどこでも見られるのに、なぜよりによってそれなのか?と。バトロイドやガウォーク形態の方が、アニメならではの形で面白いじゃないかと。まぁそれについて否定する気はないんですが、それでも飛行機型の方が好きなんだからしかたがない。  どうも昔から「移動するもの」に憧れがあります。最も好きなのは自動車ですが、たぶん一番身近だったからでしょう。父親が乗っていたスプリンター・カリブの印象が強かったため、いまでもハッチバック車が形態として一番好きだったりしますし。  マクロスのバルキリーで飛行機型が好きなのも多分そのせいで、一番速く、一番遠くまで行けそうなファイター型がやっぱり好きなんですね。銃を持って戦ってるバトロイド形態は見せ場の一つだと理解はしますが、高速で飛行するファイター型のほうがやっぱり美しい。ひらひらとミサイルを避けて飛ぶ姿は、ガウォーク形態には絶対に醸し出せない色気があります。というかガウォーク形態は申し訳ないんですがカッコ悪いと思う。 中部国際空港にて PENTAX K-5IIs + SIGMA APO 120-400mm F4.5-5.6 DG OS HSM  高速で移動するものは、つまり、より遠くの、見たことのない景色を見させてくれる存在です。身近であるが故に気がつかない風景にも妙味がありますが、もっと遠くの、普段は見られない景色をたくさん見たいと思うのが人情。「なぜ生きているのか?」と問われれば、「もっと綺麗なものを見たいから」と答える程度には、自分の中でその欲求は強い。  写真や映像ではダメです。自分の目で見なければ、その風景を理解することはできない。だから、移動しなければならない。その風景を目で見て、その空気を自分で吸って、匂いをかぎ、熱を感じ、手で触れて、味わって、ようやくその場所に足を運んだといえる。Google EarthやGoo

上品ということ

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 上品に生きたい、というようなことを折にふれて思います。上品と言ってもハイソな感じのそれではなくて、なんといいますか、高潔な人格でありたい、もしくはそれに近づきたい、という意味。ひとことでいえば、品性よくありたい、ということ。  上品とはふつう「気品が良い」というような意味を持っていますが、もっと根源的な性根の部分で品よくありたいと思うわけです。……わかりづらいか。  食事を例に取るとき、一般的な意味での上品というのは、マナーが良いであるとか、食べ方が美しいであるとか、そういうことを指していると思うのですが、私の考える(志向する)上品はそれとは少し違っています。例えば食卓を囲むメンバーにマナーの悪い人がいた時、行儀のなっていない人がいた時などに、彼らに対してどう振る舞うか。そんな時、目くじらを立てて怒り出す人、表に出さずとも冷淡な感情を抱く人は、私にとっては下品な人です。そうではなく、許容しながらも穏やかにたしなめられる人、あるいは笑ってその輪に入れる人、そういう人こそが上品だなと思います。  あるいは人と意見が食い違ったとき。目を三角にして、口角泡を飛ばして、相手の意見を一切聞き入れずに、やり込めることにばかり心血を注ぐような人は、やはり下品だと思う。そうではなく、相手の言うことをよく聞き、理解し、その上で自分の意見を述べて、互いの落とし所を見つけられる人、そういう人が上品だと思う。  表面的なマナーや気品を超えた、"人格"としての高潔さ。それが私の考える上品の定義。受け入れる度量と、人を正すことのできる器量。穏やかな心持ちでそれらを内に秘める人こそが、高潔な人格であると思う。そのような上品さを持った人間に私はなりたい。いつの頃からかはもう忘れましたが、たぶん20代前半くらいの頃から、そう願うようになりました。  もちろん、凡人の私にとって、それは一朝一夕でたどり着ける境地ではないし、一生かかっても片鱗に触れられるかどうかわからない。ただ、少なくとも、そうでありたいと願い、そうなろうと身を正すことくらいはしていたい。  さて、そういう価値観の私が最近とても「下品だなぁ」と思ったのは、次の記事。 http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140713/waf14071323

ドゥーチェ、アンチョビ! OVA「ガールズ&パンツァー これが本当のアンツィオ戦です!」感想

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 久しぶりにアニメの話を。昔はよくレビューと称して色々と語りましたが、まぁ私もいい歳なので、深い話は若い子に任せて、気楽に感想など書いてみたいと思います。  お題は「 ガールズ&パンツァー これが本当のアンツィオ戦です! 」。OVAとして制作されたものですが、先行して劇場公開したので昨日7月5日土曜日に観てきました。長編映画ではなく40分の短い時間でしたが、ガルパンらしく、迫力のある映像とテンポの良い展開で、濃密な映像空間が出来上がってましたね。  メインとなる筋は、TV版第7話でたった数秒で結果のみ伝えられるという、やや気の毒な扱いだった「アンツィオ高校」との対戦。ノリと勢いだけは良い、というこれまた気の毒な評価の高校との対戦は、本当はいかなる激戦であったのか。はたしてネタ枠だったのか、それとも意外な強豪だったのか、ファンの間でも楽しみなお話でしたが、ようやくそれが明らかになったというところ。